フォックスウェル肖像画

フォックスウェル文書について

関西学院創立125 周年を前に「新基本構想」(2009-2018)が策定された。「フォックスウェル文書」は、そこで掲げられた関西学院のミッションとスクールモットーを実現するためのヴィジョンの一つ「『関学らしい研究』で世界の拠点となる」を実現するために購入された。「フォックスウェル文書」は、19 世紀後半から20 世紀初頭のイギリスを中心とする「世界的な知の交流」を明らかにする世界的財産の一つである。

T.フォックスウェル(Herbert Somerton Foxwell,1849-1936)

フォックスウェルは、1849 年6月17日、ブリストル南のシェプトン・マレット(Shepton Mallet)に生まれ、ウェスレー派のメソヂスト教徒として育てられた。後に東京帝国大学で経済学の講師となるアーネスト・フォックスウェル(Ernest Foxwell, 1851-1922)は彼の弟である。1867 年、フォックスウェルは18 歳でロンドン大学のユニヴァーシティ・カレッジでB.A. を取得した。当時、近代化を迎えつつあった日本は、模範国イギリスの文物を導入しようと多くの留学生をイギリスに送った。彼らは、イギリス国教会の高等教育機関であるオックスブリッジではなく、イギリスの中産階級にリベラル・アーツを授けるために創立されたユニヴァーシティ・カレッジおよび国教会系のキングス・カレッジを擁するロンドン大学に留学した。例えば、フォックスウェルが在学していた頃の1866-67年度1)のユニヴァーシティ・カレッジには井上勝(1843-1910)、鮫島尚信(1845-80)、吉田清成(1845-91)らが、少し遅れて1879-80 年度には末松謙澄(1855-1920)らが、さらに1884-85 年度には添田寿一(1864-1929)らが留学し、キングス・カレッジには、1871-75年に原六郎(1842-1933)が、少し遅れて1874-77年には中上川彦次郎(1854-1901)が、1879-80年には山辺丈夫(1851-1920)らが留学した2)

フォックスウェルは1868 年にケンブリッジ大学のセント・ジョーンズ・カレッジに道徳学を学ぶ学生として入学、1870年にはマーシャル(Alfred Marshall, 1842-1924)の経済学講義に出席、道徳学のトライポスに合格している。その後ヒューエル奨学生に選ばれ、また、後にマーシャルの夫人(1877年結婚)となったメアリー・ペイリー(Mary Paley, 1850-1944)にデカルトやロックについての学習を指導した。そして1874 年になりセント・ジョーンズ・カレッジのフェローに選出された(1874-89:1905-36)。この年、ジェヴォンズ(William Stanley Jevons,1835-82:当時39 歳)とともに「異常な若さ」(当時25 歳)のフォックスウェルは、ケンブリッジ道徳学トライポスの経済学の試験官に就任したが、これが二人の交流の契機となった。この交流を通じてビブリオ・グラファーであるジェヴォンズの古書収集の「趣味」に感染した。1875 年には、セント・ジョーンズ・カレッジの道徳学講師に任命された。1876年、ジェヴォンズはユニヴァーシティ・カレッジ教授に転出することになったが、オウエンズ・カレッジでの残りの授業をする必要があり、その間、フォックスウェルがユニヴァーシティ・カレッジでジェヴォンズの授業を代行した。1877 年、結婚のためにマーシャルがケンブリッジ大学を去ったために、彼に代わり、フォックスウェルがシジウィック(Henry Sidgwick,1838-1900)、ケインズ(John Neville Keynes, 1852-1949)と協力して、トライポス用の経済学の責任者となった。

弟のアーネストは医学を学んだ後、1874 年ケンブリッジ大学で道徳学トライポスに合格し、1880 年にはケンブリッジでM.A.を取得し、鉄道の権威となった。

1881年5月7日、著作業に専念するために退職した(1880)ジェヴォンズの後任として、フォックスウェルはユニヴァーシティ・カレッジ教授に就任(-1922)し、同時に、統計学のニューマーチ講座の職にも就いた。1882 年に経済学クラブ会員(-1936)に選出された。1882 年8 月13 日にジェヴォンズが死去し、彼の論文集『通貨および金融の研究』の編集を担うこととなり、また、彼の『経済学原理』の編集を開始した。フォックスウェルは前者が1884 年に出版された際にその序文を書いたが、後者の編集はヒッグス(Henry Higgs,1864-1940)により完成され1905年に出版された。

お雇い外国人として来日した弟アーネストは東京帝国大学(1896年4月-99年7月)で経済学・財政学を講義し、東京高等商業学校(1897年5月-98年7月)では商業経済学を講義し、日本の版画に関心をもち、のちにその権威となった。

フォックスウェルは1898 年にメイ(Olive May)と結婚している。当時、フォックスウェルは50 歳であった。1908 年、マーシャルがケンブリッジ大学を退職する際、フォックスウェルは後継者となることを望んだが、マーシャルの愛弟子ピグー(Arthur Cecil Pigou,1877-1959)が後継者となった。さらに、1922 年になるとフォックスウェルは40 年間奉職したユニヴァーシティ・カレッジの教授職を辞任し、1929 年に王立経済学会会長に就任し、その地位に1931 年まで留まっていた。その前年の1930 年妻メイが死去し、1936 年になってフォックスウェルもまたその生涯を終えた。


1884 An Edition, with Introduction, of W.S.Jevons’ Investigations in Currency and Finance.
1886 “The Social Aspect of Banking.” Read at Institute of Bankers, Journal, Feb. 1886, reprinted as a pamphlet. 51p.
1888 “Certain Misconceptions in Regard to the Bimetallic Policy of the Fixed Ratio.”
An address delivered at the Bimetallic Conference, Manchester, reprinted as a pamphlet. 20p.
“The Growth of Monopoly and its Bearing on the Function of the State.” Read at the British Association, Bath, printed in the Municipal Review,13 Oct.
1892 “Mr. Goschen’s Currency Proposals,” Economic Journal(以下 EJ ), March.
“The International Monetary Conference,” Contemporary Review, Dec.
1893 “Bimetallism, its Meaning and Aims,” Economic Review, Jun.
1895 “A Criticism of Lord Farrer on the Monetary Standard,” National Review, Jan.
“The Monetary Situation.” Read before the Political Circle of the National Liberal Club. Reprinted as a pamphlet, 44p. and 2 diagrams.
“Shaws’History of Currency,” A review in English Historical Review, Oct.
1907 “A Letter of Malthus to Ricardo,” EJ, June.
1908 “The Goldsmith’s Company’s Library of Economic Literature.” Published in Palgrave’ s Dictionary of Political Economy (s.v.“Economic Literature” in Appendix.
1909 “The Banking Reserve,” The Secretary, March.
“The American Crisis of 1907,” The Secretary, April and May.
Preface to the English translation of Andréadès’ History of the Bank of England.
1910 Preface to W.R. Bisschop’s The Rise of the London Money Market.
1913 “J. M. Keynes’ Indian Currency and Finance.” A review in EJ, Dec.
1914 Hartley Withers’ Money-Changing, A review in EJ, June.
Preface to G. H. Pownall’s English Banking.
1915 W. R. Lawson’s British War Finance, A review-article in EJ, Dec.
1916 “Ways and Means,” EJ, March.
1917 “The Nature of the Industrial Struggle.” The first two lectures delivered at the Royal Institution, EJ, Sept.
“The Financing of Industry and Trade.” The second of the above lectures, EJ, Dec.
“Inflation: In what sense it exists; How far it can be controlled.” An address to the Institute of Actuaries, Journal of Institute of Actuaries, Oct.
1919 “Archdeacon William Cunningham.” An Obituary, EJ, Sept.
Papers on Current Finance, pp. xvii +280.
1922 “The Pound Sterling,” The Accountant, 21 Nov.
1927 “P. W. Matthews’ A History of Barclays Bank.” A review-article in EJ, Sept.

U. R.D. フリーマン文書について

メルボルン大学でタッカー(Graham S. L. Tucker, 1924-)のもとで経済思想史を学んだフリーマン(Richard Downing Freeman, 1936-)は1959年、同校を卒業、1963年から1970年までメルボルン大学で経済史などを担当し、1970年からは、オーストラリアの経済発展委員会のアドバイザーなどを務めた。1971年にはイギリス大蔵省のアドバイザーとなるなど、その後官界に転じ活躍した。彼は、イギリスの哲学者で経済学者であったシジウィック研究の過程で、フォックスウェルに関心を抱くようになった。

1)フォックスウェル文書発見の経緯 

欧米における経済学史研究に棹さしたのは、1972 年にイタリアのベラジオで開催された限界革命百周年記念の国際会議とマンチェスターで開催された経済思想史学会であった。当時の世界の経済学史研究のリーダーであったブラック(R. D. Collison Black, 1922-2008)、コーツ(A. W. Coats, 1924-2007)3)らは、経済学史研究における手書き文書・書簡の重要性について共通認識を持つにいたった。特にジェヴォンズ文書・書簡を編集していたブラックは、自らもビブリオ・グラファーとして業績をあげ、フォックスウェル書籍蒐集に大きな影響を与え、交流があったジェヴォンズとフォックスウェル間の書簡の発見に努めていた。また、王立経済学会の創設に関心をもっていたコーツも、フォックスウェルとマーシャルとの関係や、フォックスウェルと争ってマーシャルの後継者となったピグーとの確執を調査していた。彼らはフォックスウェルの長女オードリー(Audrey)に手紙を送ったが、書簡はもちろんフォックスウェルの手稿等もないとの返事であった。また、古典派経済学者D.リカード全集4)の編集者で自らも著名な経済学者であったスラッファ(Piero Sraffa, 1898-1983)らもまたフォックスウェル文書を探索したものの、失敗に終わったことをフリーマンは知った。1973 年、長女オードリーの他界を知り、出版社マクミランの協力を得て、フリーマンはフォックスウェルの次女メタム夫人(Mrs. Peggy Mettam)と接触する機会に恵まれ、ケンブリッジのハーヴェイ通りにある邸宅のフォックスウェル文書の調査の許可を得た。訪れた邸宅には、書籍の他、入口脇の踊り場・屋根裏部屋・未使用の浴室の浴槽と戸棚には厚紙製の箱・ゴミ箱など170 以上の箱があり、そこには世界的に著名な経済学者ワルラス(Marie Esprit Léon Walras, 1834-1910)、エッジワース(Francis Ysidro Edgeworth, 1845-1926)、マーシャル、ケインズ親子からの手紙など歴史的に重要な多くの書簡、カード化されていない文書、フォックスウェル文庫(後のゴールドスミス文庫)に含まれる図書の蒐集領収書などが詰まっていた。それらの箱の埃の状況から見ても明らかに1936 年のフォックスウェルの死後一度も触れられていないものであった。そこで、フリーマンは、ロンドンの3 大オークショナーのひとつであるPhillip Son & Neale をメタム夫人に紹介した。発見された書簡・文書類以外の稀覯書は、1974 年のオークションで£7,000、家具などは£20,000 で落札された。この協力による感謝として、フォックスウェル文書はフリーマンに寄贈された。もし、フリーマンがオードリーの死後連絡を取っていなかったとしたら、裏庭で焼却されたであろう。

2)フォックスウェル書籍・文書の行方

蒐集癖のあったフォックスウェルの書籍・文書は、彼が生前に手放したものを含めて、現在までにどのように世界に散らばって所蔵されているのであろうか。

a)書籍

@ゴールドスミス文庫

現在、ロンドン大学の Senate House Library に所蔵されている。この文庫は、フォックスウェルが蒐集した約3 万冊の経済学古書のコレクションで、生前ロンドン大学へ寄贈するために、1901 年にゴールドスミス商会によって買い取られ、1903 年に寄贈された。

Aクレス文庫

現在、ハーヴァード大学の Baker Library に所蔵されている。この文庫は、ゴールドスミス文庫との重複本とフォックスウェルがその後蒐集した約3 万冊の経済学古典書のコレクションである。このコレクションをアメリカの実業家 C. W. Kress が購入し、ハーヴァード大学に寄贈した。

Bその他

Phillip Son & Neale により競売(1974) にかけられたもので、稀覯書類としてAndrea Palladio, The Four Books of Architecture(1715)、Charles Darwin, On the Origin of Species by means of Natural Selection(1st ed., 1859)などが含まれていた。購入先は不明である。

b)文書

@フォックスウェル文書(1)

クレス文庫に含まれる書籍の蒐集に関わる古書業者や大学図書館との書簡類、古書目録や古書に関わる切り抜き、約500 点であり、クレス文庫の所蔵図書館であるハーヴァード大学の Baker Library に、フォックスウェル自身によって寄贈されたものである。経済学者らからの書簡は含まれていない。

Aフォックスウェル文書(2)

フォックスウェルの遺品処分の協力のお礼として、長女オードリーの没後、次女のメタム夫人からフリーマンへ寄贈されたもの。

i)フォックスウェル文書[2-i]

ゴールドスミス文庫に含まれる図書の蒐集に関わる古書業者や大学図書館との書簡類であり、古書目録や古書に関わる切り抜きなど86 箱である。これらは1880 年から1936 年の間にフォックスウェルが蒐集した書籍に関する資料であり、ゴールドスミス文庫の所蔵図書館であるロンドン大学の Senate House Library に、1974 年にフリーマンによって寄贈されたものである。これらの文献情報のコレクションは、ヒッグス著Bibliography of Economics, 1751-1775, (Cambridge University Press, 1935)の中心をなしたものである。経済学者らからの書簡は含まれていない。

ii)フォックスウェル文書[2-ii]

関西学院大学が購入した文書(「RDFC」と略称し、以下 V で詳細を示す)。

V. R.D. フリーマン文書(RDFC)の内容について

1)内容

a)新聞記事の切り抜き・議事録・手稿・ノート類

@複本位制、金融・財政、政治、社会主義、ボルシェビキ思想、労働運動、協同組合などの話題に関する新聞記事の切り抜き。フォックスウェルの蒐集癖を反映して切抜きの大部分は紙に貼られ、娘オードリーによる書き込みが見られる。ここにも数多くの書籍目録、その切抜き、書籍のちらし、書誌学的関心に関わる資料が含まれている。

A印刷媒体の議事録、覚書

王立経済学会、イギリス学士院、ロンドン大学図書館委員会、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(以下LSE)などのサーキュラー、印刷媒体の議事録、覚書が含まれている。

B手稿・ノート類

フォックスウェルの広範な話題の手書きのノート類が多数ある。また、講義ノートの内容は、社会主義、労働運動に関するものが見られる。金融・財政問題に関するものは、経営問題、特に競争や貿易と同じように数多く含まれている。また、期待に違わず、複本位制に関する数多くのノートが含まれている。

これら@ABは、フリーマンがロンドン大学のSenate House Library に寄贈した文書(フォックスウェル文書[2-i])と類似した内容である。

b)書簡類

@フォックスウェル文書[2-i](ロンドン大学図書館所蔵文書)と異なっているのは、数多くの個人書簡が含まれていることである。それらの手紙は、15 歳から1936 年に他界するまで、フォックスウェルの生涯のうち70 年をカバーしている。

ア)約80%がフォックスウェル宛書簡である(以下ABCを参照のこと)。

イ)約20%がフォックスウェルによって書かれた書簡(下書き)である。

ウ)その他

長女オードリーに宛てた書簡でフォックスウェルに関連した書簡であり、彼が死去した1936 年以降のものも含まれている。

Aフォックスウェル宛書簡の差出人(1)

フォックスウェルは、同時代のイギリスの経済学者だけでなく、政治家、ジャーナリスト、哲学者とも交流を深め、その交流の軌跡を示す書簡類をその「蒐集癖」ゆえに残した。

本書簡のコレクションに含まれる書簡の差出人の数は、およそ4,500 人(組織も一人と数える。経済学者からの書簡は約3,000 通である)に及ぶ。その中から経済学者を中心に著名な人物(他に政治家やジャーナリスト、ケンブリッジ大学の教員、大学、学会)を具体的に以下に示す(括弧内の西暦後の数字は、書簡の数である<未確定>)。

マルサス研究家のJ. Bonar(1852-1941:175)、LSEのE. Cannan(1861-1935:41)、ユニヴァーシティ・カレッジの前任者 W. S. Jevons(1835-1882:50)、ケンブリッジの同僚でもあったA. Marshall(1842-1924:237)、J.N. Keynes(1852-1949:101)、その息子J. M. Keynes(1883-1946:76)などの経済学者だけでなく、 統計学者A. L. Bowley(1869-1957:21<本大学図書館はBowley 親子のコレクションを所蔵している>)、倫理学者で経済学者でもあったH. Sidgwick(1838-1900:46)、また、彼の対抗馬であったA. C. Pigou(1877-1959:12)、さらにオックスフォードの数理経済学者で統計家であったエッジワース(335)などである。また、哲学者J. Venn(1834-1923:20)、経済学者、経済思想史家、官吏であったH. Higgs(1865-1940:641)、政治家であったW.E. Gladstone(1809-98:1)、H. McNeil(1907-55:389)などである。

Bフォックスウェル宛書簡の差出人(2)

経済学の制度化と世界的普及の時代に生きたフォックスウェルは、イギリス国内だけでなく、諸外国の経済学者との交流を深めた。アメリカの経済学者J. M. Clark(1884-1963:4)、R. T. Ely(1854-1943:1)、E. R. Seligman(1861-1938:42)、さらに統計学者で経済学者でもあったI. Fisher(1867-1947:18)、ドイツの経済学者E. Böhm-Bawerk(1851-1941:2)や C. Menger(1840-1921:2)、その弟A.Menger(1841-1906:4:フォックスウェルは彼の著書『全労働収益権史論』の英訳で序文を書いた)、J. A. Schumpeter(1883-1959:2)、フランスの経済学者ワルラス(23)などと交流した(その他の経済学者の事例は以下の資料を参考のこと)。

Cフォックスウェル宛書簡の差出人(3)

幕末明治期からイギリスに留学した日本人(それについては、井上琢智前掲書に詳しい)もまた当時世界的にも著名であったフォックスウェルに多くの書簡を送っている。その数は40 名にも及ぶ。確定出来る日本人氏名を具体的に以下に示す(括弧内の西暦後の数字は、書簡の数である<未確定>)。その中には、ケンブリッジ大学へ留学し、帰国後、法学博士、文学博士、官僚、政治家となった末松謙澄(9)、同じく、ケンブリッジ大学へ留学し、帰国後官僚エコノミストとなり、イギリスの経済雑誌『エコノミック・ジャーナル』Economic Journalの日本通信員として多くの日本に関する記事を書き、日本の現状を世界に伝えた添田寿一(18)が含まれている。また、オックスフォード大学へ留学し、帰国後特命全権公使、貴族院議長を務めた蜂須賀茂韶もちあき(1846-1918:1)が含まれている。さらに、大蔵官僚、貴族院議員として政界で大きな役割を演じた阪谷芳郎(1863-1941:2)、大蔵秘書官や日本銀行監理官として手腕を発揮し、日清戦争後、償金受理事務などとして活躍し、後に中上川彦次郎の後を受けて三井銀行の専務理事となった早川千吉郎(1863-1922:8)などもいる。その他、人名がほぼ確定し、その経歴等が多少なりとも確認できるのは、以下の日本人である。

内田銀三(東京帝国大学教授:1)、岡部長織ながもと(ケンブリッジ大学留学、外務次官、貴族院議員)、桑田熊蔵(東京帝国大学教授、社会政策学会設立、労働問題の権威:1)、宮島綱男(関西大学教授:1)、武藤長蔵(長崎高等商業学校教授:1)、渡辺專次郎(三井物産ロンドン支店長:1)などである。

2)公開について

フォックスウェル文書(フリーマン文書)は、“Economist’ s Papers:preserving economic memory” で「関西学院大学図書館所蔵」となったことが紹介されている。関西学院大学図書館は、このフォックスウェル文書の内、書簡を中心とする史料のマイクロ化およびデジタル化を完了し、2016年4月より大学図書館ウェブサイトにて公開しており、関西学院大学図書館貴重図書・資料利用規程により利用可能である(問い合わせ先 e-mail : ref@kwansei.ac.jp)。なお、Donald Winch, “Keynes and the British Academy,” (British Academy Review, 22, Summer 2013, p.72)も参照のこと。

W. R.D. フリーマン文書(RDFC)の史料上の価値

フォックスウェルが生きた時代は、経済学が古典派経済学から現代の経済学の基礎の一つとなった近代経済学が誕生し、経済のグローバル化にともない、経済学もその制度化(経済学の科目としての設置、経済学会の設立、経済雑誌の創刊、経済学部の設置など)を通じて、世界に普及していった時代であった。その経済学の中心の一つが、ケンブリッジ大学であり、その核に位置していたのがマーシャルであり、同僚ネヴィル・ケインズであり、後輩フォックスウェル、マーシャルの弟子メイナード・ケインズ、ピグーらであった。さらに、その経済学の核の周囲を取り巻く経済学は、オックスフォード大学やLSE の経済学であり、フランス、ドイツ、アメリカの経済学であり、それを継承しようとしたのは、日本など当時の発展途上国においてであった。加えて、フォックスウェルは、経済学者とだけではなく、倫理学者、哲学者、政治家、ジャーナリストと交流し、その範囲もイギリス国内だけでなく海外のそれらの人びとと交流した。その交流の手段として、同時代でもっとも重要であったのは、書簡であった。この点で、フリーマン文書(RDFC)の中核をなす書簡は、4,500 名におよぶ差出人、書簡総数24,000 通にもおよぶ(正式な数字は、この文書の完全な整理が終わっていないためにあくまでも概数である)。経済学者からの書簡だけでも約3,000 通あり、フォックスウェル家族内の私的書簡も2,300 通を越える。これらの書簡は彼が15 歳となった1864 年から1936年にいたるまでの期間に書かれたものであり、その期間は、まさにイギリスが「世界の工場」「黄金時代」となった1850 年代から、発展途上国の追い上げによってその相対的地位が低下し、「小さな政府」からしだいに「大きな政府」へと転換し始め、「ゆりかごから墓場まで」で象徴されるような世界で初めての福祉国家の成立へと導いた時代に及んでいる。このような歴史的背景を踏まえると、書簡を中心としたこのフリーマン文書は、以下のような研究上の意義をもつであろう。

第一に、ヴィクトリア時代の著名な経済学者フォックスウェルの伝記的研究のための一次史料として一級であること。

第二に、フォックスウェルの思想・経済学の形成史を明らかにするための一次史料として一級であること。

第三に、イギリスのヴィクトリア時代の知的階級の生活史・家族史研究のための一次史料として一級であること。

第四に、1870 年代に誕生し、イギリス国内だけでなく、アメリカ、フランス、ドイツ、そして日本へ普及しつつあったいわゆる近代経済学の普及・定着過程を明らかにするための一次史料として一級であること。

第五に、その近代経済学とは立場を異にする歴史学派や社会政策学派らに属する経済学者との論争を明らかにする一次史料として一級であること。

第六に、経済学の制度化が世界的に進行する中で、フォックスウェルと書簡の相手が、その制度化に如何なる姿勢をとったかを明らかにする一次史料として一級であること。

このような経済思想史・社会思想史的視点からだけでこのフリーマン文書の価値を語ることは、明らかにこの史料群の価値を誤ることになると思われる。

第七に、フリーマン文書は、その性質から考えて、狭く経済思想史・社会思想史だけでなく、広くケンブリッジ大学を含む知的社会の「知の交流」という知識社会学的視点からも評価すべきであろう。まさに、彼の生きた時代が、“Philosophy” から“Sciences” へと、知的体系が構造的変化を遂げつつあったことを考えると、このフリーマン文書の一次史料としての価値はさらに高い。

第八に、フリーマン文書に含まれる諸史料は、イギリスの政治が旧体制から労働党の誕生を含む新たな政治体制へと変貌してゆくのを跡づけるのに必要な情報を提供するであろう。まさに同時代の政治史・イギリス史の解明に役立つ情報を、とりわけ著名な政治家・官僚との書簡が提供するであろう。例えば、約389 通もの書簡をフォックスウェルに送ったマクニール(Hector McNeil)は、イギリスのジャーナリストであり、後年、労働党下院議員(1941-)、内相(1946-1950)、国連総会副議長(1947)などを務めるが、若きころのマクニールとフォックスウェルとの交流は興味深い。

第九に、このようにさまざまな特徴をもつフリーマン文書の研究は、まさに「学際的」研究を通じてしか実現できないものであり、関西学院大学内外の共同研究の対象となるべき一次史料である。

第十に、フリーマン文書に含まれる日本人からの書簡の解明は、当時近代化を進めつつあった日本の有り様を明らかにするために、きわめて重要であり、日本の政治史・経済史・思想史など学際的な研究によって初めて可能なものとなろう。

これらの特徴は、この史料の所蔵が単に経済学研究だけでなく、社会科学研究を中心に関西学院大学全体にとってきわめて有効なものであるものと確信している。最後にもっとも重要なことは、経済思想史はもちろん、広く社会科学の研究は、公刊された図書史料・資料によってのみ行う段階を過ぎており、その世界的業績を上げようとすれば、公刊されていない草稿類・書簡類など一次史料を利用した研究を行う必要がある。これまで、関西学院大学図書館は、それら一次史料を、経済学者・統計学者・社会主義者などを対象に徐々に蓄積してきた。それら一次史料にもとづく研究の成果は少しずつではあるが、公表されつつある。しかし、その数は限られており、今回の史料群は、関西学院大学図書館を質と量の両面から格段に引き上げるものであり、この分野では、ロンドン大学やハーヴァード大学の図書館と同様、関西学院大学図書館を世界の図書館とするのに、大きく貢献するであろう。


【参考資料】数字は書簡数であるが、整理が終わっていないためあくまでも概数である。

Ashley, W.J(18), Booth, C(9), Bowley, A.L(21), British Association(129), Cairnes, J.E.(1), Cunningham, W.(28), Fisher, I.(18), Giffin, R.(41), Higgs, H.(641), Marshall, M.P.(50:A.Marshall夫人), Jevons, H.(70:W.S.Jevons夫人), Jevons, H(10:W.S.Jevons の息子), Laski, H.(1), Leslie, C.(16), Levi, L.(1), London School of Economics(170), Palgrave, R.H.I.(99), Scott, W.R.(405), Smart. W.(38), Toynbee, A.(17), University College London(211), Webb, B.(15), Wicksteed, P.H.(42)


【謝辞】本稿の執筆にあたって、以下の参考資料に加えて、丸善株式会社、とりわけ木村潤一郎氏より提供された多くの情報・ご教示に対して、記して厚くお礼申し上げます。

Keynes, J.M., Essays in Biography, chap.17, The Collected Writings of John Maynard Keynes, vol. X, 1972.

Freeman, R.D.,“The R.D. Freeman Collection of Foxwell's Papers−Its Rescue” , Journal of the History of Economic Thought,vol.28, no.4, 2006, pp.489-95.


【注】

1)1866年秋学期より約1年間の在学である。以下、同様である。

2)井上琢智『黎明期日本の経済思想−イギリス留学生・お雇い外国人・経済学の制度化』2006.

3)ブラックは1980年に、コーツは1984年に、堀経夫学長以降、日本の経済学史研究の研究拠点の一つであった関西学院大学を訪問している。堀経夫(1896-1981)は、京都帝国大学で河上肇に師事した、著名なリカードウ研究家であり、経済学史学会のオリジナル・メンバーの一人として活躍し、その代表幹事を長く務めた。See Gilbert Faccarello and Masashi Izumo (ed.), The Reception of David Ricardo in Continental Europe and Japan, 2014, Routledge.

4)堀経夫はこの全集の監訳者であり、スラファの堀宛て書簡は、関西学院大学学院史編纂室に保管されている。

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